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人生初のジョギング。100メートルが、はるか遠くに見えた。


退院から数日後、ジョギングシューズを買って外に出た。

人生で初めて、「走ろう」という目的だけで外に出た日だった。

シューズを選ぶところから、もう戸惑った

スポーツ用品店に入って、最初に思ったことは「種類が多すぎる」だった。

ランニングシューズのコーナーだけで、軽く100種類以上あった。価格も5,000円から30,000円を超えるものまである。何が違うのか、全くわからない。

店員さんに声をかけた。「ジョギングを始めたいんですが」と言ったら、足のサイズを測ってくれた。「普段より0.5センチ大きいものを選ぶといいですよ。走ると足が膨らむので」という話を聞いて、「なるほど」と思った。

初心者向けのクッションがしっかりしたモデルを勧めてもらい、それを選んだ。1万円弱。シューズ代だけで始められる。それがジョギングを選んだ理由の一つでもある。

家に帰って、シューズを眺めた。「本当に走れるのかな」という気持ちと、「やってみよう」という気持ちが半々だった。

早朝5時半に外に出た理由

翌朝、5時半に起きた。

早朝にしたのは、人に見られたくなかったからだ。80キロ超えのおじさんが、よたよた走っている姿を近所の人に見られるのは正直恥ずかしかった。特に、会社の同僚や知り合いに会ったら目も当てられない。

夜明け前の空気は冷たかった。道路に出ると、あたりはまだ静かだった。犬の散歩をしている人が一人いたくらいだ。

「よし、行くか」

心の中でそう言って、走り始めた。

100メートルが、何十キロ先に見えた

目標は100メートル。たった100メートル。

でも、80kgを超えた体には、その100メートルが何十キロも先にあるように見えた。

速さは、競歩と歩きの中間くらい。傍から見たら走っているのかどうかもわからないほどのスピードだったと思う。それでも全力だった。心拍数が上がる。息が上がる。足が重い。「これが自分の現実か」と思いながら、必死に前を向いた。

100メートルを走り終えて、立ち止まった。息が上がっている。足が重い。

しばらく、動けなかった。

「情けないというより、それが今の自分の正直な状態だった。」そう思うことにした。嘆いても仕方がない。今日の自分はここまで。明日また来ればいい。

翌日も、その翌日も、出た

100メートル走って止まった後、歩いて家に戻った。

体は正直だった。普段いかに体を動かしていなかったか、あの100メートルが全部教えてくれた。

翌朝も、また5時半に起きた。少しだけ早く出てみた。今日も100メートル。止まった。でも息の上がり方が、昨日より少しだけましな気がした。気のせいかもしれない。でも、そう感じた。

3日目も、出た。

不思議なことに、「やめよう」という気持ちにならなかった。「続けよう」と意気込んでいたわけでもない。ただ、起きたら走りに行く、という流れが自然に出来上がっていた。

習慣というのは、意志の力で作るものではなく、行動を繰り返すうちにできるものなのかもしれない、とあとから思った。

1週間で変わったこと、変わらなかったこと

1週間続けて、体重は変わらなかった。

走る距離も、100メートルから200メートルにしか伸びなかった。劇的な変化など、当然なかった。

でも、変わったことが一つあった。朝、起きるのが嫌ではなくなった。

それまでは、目覚ましが鳴るたびに「もう少し」と布団に潜り込んでいた。でもジョギングを始めてから、「今日はどこまで走ろうか」という気持ちが、起き上がる理由になった。ちっぽけな理由かもしれないが、私にとってはそれで十分だった。

発酵食品と、根本は同じだと気づいた

2週間が過ぎた頃、気づいたことがある。

ジョギングを続けられている理由と、発酵食品を食べ続けられている理由は、根本的に同じだ、ということだ。

どちらも、「毎日少しずつ」が原則だ。どちらも、劇的な変化を求めない。どちらも、継続することそのものが目的に近い。

発酵食品は、菌が毎日少しずつ腸内環境を整えてくれる。ジョギングは、体が毎日少しずつ走ることに慣れていく。急ぐ必要はない。長く続けた人が、一番遠くへ行ける。

そう思ったとき、走ることが少し楽になった気がした。

毎日続けることだけを考えた

最初から距離や速さを求めなかった。

「今日も走れた」という小さな事実だけを積み重ねることにした。どんなに遅くても、どんなに短くても、外に出て体を動かした日は成功だと決めた。

1ヶ月後、走れる距離は1キロを超えた。2ヶ月後には3キロ走れるようになった。体重も少しずつ落ち始めた。でもそれよりも、「続けている自分」に少し自信が生まれてきた。

走ることで、見えてきたもの

ジョギングを続けていると、自然と早朝の景色を見るようになった。

それまで早朝に外に出たことなど、ほとんどなかった。夜明け前の空気、少しずつ明るくなる空、鳥の声。仕事でバタバタしていた頃には気づかなかったものが、たくさんあった。

「世界は、こんなに静かで美しかったのか」と思った。大げさかもしれないが、本当にそう感じた。走ることは、単純に体を動かすだけでなく、自分の生活に新しい時間をつくることでもあった。

走り終えて家に帰ると、家族がまだ寝ている。台所でコップ一杯の水を飲む。その時間が、今でも一日の中で一番好きな瞬間かもしれない。

体重の変化と、予想外の変化

3ヶ月で体重が5キロ落ちた。

毎週月曜日に体重計に乗るようにした。数字が少しずつ減っていくのを見るのが、楽しみになってきた。「ゲームの経験値が上がっていく感覚に似ている」と妻に話したら、「子供みたい」と笑われた。

でも体重よりも、予想外の変化が嬉しかった。

朝起きたとき、頭がすっきりしている。仕事中、午後の眠気が減った。夜、横になったらすぐ眠れるようになった。「運動すると眠れる」という話は聞いていたが、これほど実感できるとは思わなかった。

50代から始めても、体は変わる

よく「50代から運動を始めても意味があるのか」と聞かれることがある。

答えは、間違いなく「ある」だ。

私自身が証明している。入院して動けなかった状態から、3ヶ月で3キロ走れるようになった。半年で5キロ落とした。1年後にはハーフマラソンを目指して練習するようになった。

「遅い」という言葉は、始める前にしか使えない。始めてしまえば、あとは続けるだけだ。

あの朝の100メートルが、今の私をつくった。

ジョギングが、他のことも変えた

走ることを続けるうちに、生活全体が少しずつ変わってきた。

早起きが習慣になった。食事を丁寧に食べるようになった。アルコールを飲む量が自然と減った。「走る体を作る」という意識が、いろんな選択に影響し始めた。

夜遅くまでダラダラとテレビを見ることが減った。翌朝走るために、早く寝たくなるからだ。こういう変化は、誰かに言われたわけでも、意識して努力したわけでもない。ジョギングという一つの習慣が、周りの習慣を引き寄せてきた感じだった。

良い習慣は、連鎖する。発酵食品もジョギングも、そうやって私の日常になっていった。「健康になろう」と気合を入れたわけではなく、一つのことを続けていたら、気づけばいくつもの習慣が積み重なっていた。それが50代という年齢でも、体が変わると実感できた理由だと思っている。焦らなくていい。まず一つ、始めればいい。


遅くていい。短くていい。ただ、やめなければいい。

※ この記事は個人の体験と公開情報に基づくものです。特定の疾患の診断・治療・予防を目的としたものではありません。健康上の不安がある方は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。