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100メートルが、1キロになった。距離が伸びる、あの喜び。
足首が治り、また100メートルから走り始めた。
2度目のスタートだった。でも今回は、1度目とは少し違う気持ちがあった。「続けよう」という意志が、以前より強くなっていた。
少しずつ、確実に伸びていった
100メートルが続けられるようになると、自然と「もう少し先まで走ってみよう」という気持ちが出てきた。
500メートル。800メートル。1キロ。3キロ。4キロ。
劇的な変化ではない。今日は昨日より少し先まで走れた、という小さな前進の繰り返しだった。でもその積み重ねが、気づけば大きな距離になっていた。
1キロを初めて走り切ったとき、「自分にもできるんだ」と思った。その感覚は今でも覚えている。
ジョギングギアを揃えた
距離が伸びてくると、装備にも気を使うようになった。
ジョギング専用のシューズを新しく買った。足の形に合ったもの、衝撃を吸収するもの。ウェアもジョギング用のものに替えた。さらに、膝や足首など、筋肉や関節に負担がかかりやすい部分にサポーターを付けて走るようにした。
道具を揃えることで、走ることへの本気度が自分の中で上がった。「これで走るんだ」という気持ちが、習慣を支えてくれた。
シューズ選びに1時間かけた
シューズを買いに行ったのは、近所のスポーツ用品店だった。
店員さんに「ジョギングを始めようと思っているんですが」と声をかけたら、足のサイズを測ってくれた。幅や甲の高さも含めて。自分の足の形を、改めて知った。
「この方の足には、クッション系のシューズが合います」と言われた。足首の故障歴があることを伝えたら、特に底のクッションが厚いものを勧めてくれた。
値段は少し高かった。1万5000円くらいした。それまで運動靴に1万5000円を出したことはなかった。少し迷ったが、「続けるなら体への投資だ」と思って買った。
実際、そのシューズにしてから、走った翌日の足の疲れが全然違った。安いシューズで走っていた頃は、膝が重かった。良いシューズは、体の負担を確実に減らしてくれる。
100メートルから1キロへ:越えた最初の壁
1キロを走り切った日のことは、はっきり覚えている。
秋の朝だった。空気がひんやりしていて、走るのには最高のコンディションだった。いつもより少しだけ「先まで行ってみようか」という気持ちがあった。
500メートルを過ぎて、折り返さずにそのまま行った。700メートル。800メートル。息が上がってきた。でも止まりたくなかった。
900メートル。足が重くなってきた。「あと100メートル」と声に出した。
走り切った。
その場で少しの間、ぼーっと立っていた。大したことではない、と頭ではわかっていた。でも、なんだかじんとした。「自分にもできるんだ」という実感が、じわじわ体に広がってきた。
あの日の感覚が、今でも走ることの原点にある気がする。
「もう少し」の積み重ねが、距離を変える
1キロになった後も、少しずつ伸ばした。
1.5キロ、2キロ、3キロ、4キロ。毎回「もう少し」を繰り返した。無理して一気に伸ばしたことは一度もない。体が「今日はここまで」と言ったら、そこで止めた。
3キロを走れるようになったとき、「走る人間になった」という感覚があった。ジョガーという言葉が、自分に当てはまる気がした。
4キロを超えたとき、次は5キロが見えてきた。目標が自然と前に移動していく。その感覚が、ジョギングの楽しさの一つだ。
発酵食品との出会いはまだ先のこと
この頃は、まだ発酵食品には出会っていなかった。
体を動かすことと、食べるものを変えること。後者を意識し始めるのは、もう少し後の話だ。
ただ、走ることを続ける中で、食事への意識が少しずつ変わってきていた。走った後、何を食べるかを気にするようになった。体が「これを欲しがっている」という感覚が出てきた。
体を動かすことと、何を食べるかは、切り離せないのだと、うっすら気づき始めていた。
走ることが、楽しくなってきた
4キロを走れるようになった頃、気づいたことがあった。
走ることが、義務ではなく楽しみになっていた。
距離が伸びるたびに達成感がある。走り終えた後の爽快感がある。「今日も走れた」という小さな誇りがある。それが次の日もまた走ろうという気持ちにつながっていった。
走るためにシューズを履くのが、楽しみになっていた。出かける前のルーティンが、生活の中で光る瞬間になっていた。
「義務感」が「楽しみ」に変わる瞬間。それがいつかはわからない。でも、続けていれば必ず来る。
走る習慣ができる前と後
走る習慣ができる前の週末は、どこか漫然と過ごしていた。
特に何もしない休日。テレビを見て、食事をして、また眠る。それが悪いわけではない。でも月曜になったとき、「何もしなかった」という感覚が残った。
走る習慣ができてからは、週末の質が変わった。
朝に走って汗をかく。帰ってシャワーを浴びて、ゆっくりご飯を食べる。体を動かした後の食事は、格別においしい。午後はすっきりとした気分で過ごせる。月曜になっても「今週末も走れた」という満足感が残る。
走ることは、週末の質を変えてくれた。「体を動かした休日」と「動かさなかった休日」では、その後の一週間の気分が全然違う。続けるうちに、それがわかってきた。
走ることが、もう一つの「時間」になった
4キロを走れるようになった頃から、走ることが「時間」になった。
平日の夜、仕事の疲れを引きずりながら帰宅する。そんな毎日の中で、週末の走る時間だけは、自分だけの時間だった。会社のことも、家族のことも、一時置いておける時間。ただ走ることだけを考える時間。
走りながら、いろんなことを考えた。仕事の悩み、将来への不安、昨日食べたものの感想。でも走っているうちに、それらが薄くなっていく。体を動かすことに集中すると、頭の中がシンプルになる。
走り終わったとき、気分がすっきりしていた。体の疲れはあるが、頭が軽い。その感覚が、また走ろうという気持ちを作った。
5キロを超えた日
4キロを走れるようになってから、5キロまでは時間がかかった。
4キロを走れるようになると、満足感があった。「もう十分だ」という気持ちが出てきた。5キロという次の目標を意識し始めたのは、4キロを数十回走った後だった。
ある秋の朝、気分がよくていつもより遠回りしてみた。帰りに距離を確認したら5.2キロだった。知らないうちに5キロを超えていた。
「あ、5キロ走れた」と思った瞬間、何かが変わった感覚があった。心のどこかで「5キロは無理だろう」と思っていたのかもしれない。でも実際に走れた。体は限界を勝手に超えてくれることがある。
走り始めた頃の自分に、今伝えられること
100メートルから走り始めた頃の自分に、今の私から言えることがある。
「焦らなくていい。続けていれば、必ず来る」
最初は誰でも遅い。最初は誰でも短い距離しか走れない。でもそこで諦めなければ、気づいたら変わっている。その変化は急には来ない。だから気づきにくい。気づいたときには、すでに遠くまで来ている。
100メートルの自分が4キロ走れるようになるなんて、最初は想像もできなかった。でも実際にそうなった。小さな「もう少し」の積み重ねが、見えない変化を作っていた。
走ることと、発酵食品の共通点
走ることを続けながら気づいた。
発酵食品も、同じだ。
ぬか漬けを始めた頃、すぐにおいしくなるわけではなかった。毎日かき混ぜて、少しずつ味が変わっていく。3ヶ月後、半年後、「うちのぬか床の味」ができあがっていた。
走ることも、食べることも、変化は急には来ない。でも続けていれば、必ず来る。それが、今の私が体で理解していることだ。
次回:8年かけて、体重が10kg減った。
※ この記事は個人の体験と公開情報に基づくものです。特定の疾患の診断・治療・予防を目的としたものではありません。健康上の不安がある方は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。