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いつもの味を、いつも通りに|発酵食品の「ばらつき」に科学が挑む
同じレシピで、同じように仕込んだのに、なぜか味が違う。
発酵食品づくりを経験した人なら、一度は感じたことがあるかもしれない。味噌も、パンも、チーズも、そのときどきで少しずつ表情を変える。それは発酵の面白さでもあり、同時に、難しさでもある。
この「ばらつき」に、科学の力で向き合おうとする総説(レビュー論文)が発表された。Nature系の学術誌「npj Science of Food」に2026年に掲載された研究である。アイルランドのTeagasc Food Research Centre、University College Cork、APC Microbiome Irelandなどの研究者によるレビューである。
今回はこの論文を手がかりに、発酵食品の未来を少しのぞいてみたい。
発酵食品の品質は、微生物しだい
発酵食品のおいしさは、どこから来るのか。
論文はまず、発酵食品の品質が「微生物群集の組成・機能・相互作用」によって大きく左右される、と整理する。どんな菌が、どれだけいて、どう働き、互いにどう影響し合うか。その総合的な結果として、味や香り、質感が生まれる。

ところが、この微生物の顔ぶれは、なかなか思い通りにならない。温度、湿度、原料のわずかな違いで、菌のバランスは変わってしまう。だから発酵食品は、組成のばらつきが大きく、制御が難しい。とりわけ、大量に、安定して作ろうとする産業の現場では、この「再現性の低さ」が長年の課題だった。
オミクスという、新しい目
そこで登場するのが、「オミクス」と呼ばれる技術だ。
聞き慣れない言葉なので、少し補っておきたい。オミクスとは、生き物の情報を丸ごと、網羅的に読み取る手法の総称である。たとえばメタゲノミクスは、そこにいる微生物の遺伝子を一括で調べる。メタボロミクスは、微生物が生み出す代謝物を一気に分析する。
これまで見えなかった「発酵の中で何が起きているか」を、細かく可視化できるようになった。いわば、発酵という黒い箱の中を照らす、新しい目である。この目を使えば、発酵食品の微生物生態系を分析し、さらには意図的に組み立て直すことも可能になる、と論文は述べている。
「定義された微生物コンソーシアム」という設計思想
このレビューが中心的に取り上げているのが、「定義された微生物コンソーシアム(DMC)」という考え方だ。
コンソーシアムとは、複数の菌の集まりのこと。自然まかせの発酵ではなく、あらかじめ役割を決めた菌の組み合わせを設計しよう、という発想である。
DMC という考え方自体は、以前から研究されてきた。この論文が新たに中心へ据えるのは、その菌の集まりを二つの層に分けてとらえる枠組みと、それを設計・改良していく進め方である。
論文は、この菌の集まりを二つの層に分けて考える。一つは「コアマイクロバイオーム」。発酵の性能そのものを担う、いわば土台となる菌たちだ。もう一つは「補助マイクロバイオーム」。風味の多様さや、発酵の安定性に関わる、いわば個性を添える菌たちである。
土台をそろえて再現性を確保しつつ、補助の菌で豊かさを加える。この二層構造が、安定とおいしさを両立させる鍵になる、というわけだ。
組み立て、評価し、作り直す
もう一つ、論文が示すのが「A-A-R」という進め方である。
Assembly(組み立て)、Assessment(評価)、Redesign(再設計)。菌の組み合わせを組み立て、その結果を評価し、うまくいかなければ設計をやり直す。この三つを何度も繰り返して、理想の発酵に近づけていく。
ものづくりでいえば、試作と改良をていねいに重ねるようなものだ。勘や経験だけに頼るのではなく、データにもとづいて微生物の集まりを最適化していく。こうした反復のなかから、狙った性質を持つ発酵食品を、再現性高く生み出す道が開けると論文は述べている。
これからの発酵食品
論文は、オミクス解析とDMCの設計・改良を組み合わせる方法を、再現性の高い「precision fermentation」への一つの道筋として位置づけている。なお、「精密発酵」という言葉は、別の分野では微生物を利用して特定成分を生産する技術を指す場合もある。本記事では、発酵食品の微生物群を精密に分析・設計するという、今回の論文の文脈に沿って使用している。
ただし、DMCを実際の食品製造に導入する試みは、まだ概念・実験室段階のものが多く、産業規模での安定性が十分に確かめられたわけではない。また、伝統的な発酵食品には、地域の微生物や自然発酵を守るための製造規格が設けられている場合がある。そうした食品では、設計した菌の組み合わせに置き換えることが、制度上認められない可能性もある。現時点では、伝統的な菌を置き換えるだけでなく、微生物の状態を詳しく調べ、品質管理や食品の真正性確認に役立てることも、オミクス技術の現実的な使い道と考えられている。
もちろん、伝統的な発酵食品の魅力は、その土地土地の菌がもたらす「ゆらぎ」にもある。すべてを均一にすればいい、という話ではない。だが、品質を安定させ、安全に、たくさんの人に届けるためには、科学的な設計もまた欠かせない。
伝統の知恵と、最新のオミクス技術。この二つは、対立するものではなく、補い合うものだろう。長い歴史を持つ発酵食品が、いま最先端の研究対象になっている——そのこと自体が、発酵という営みの奥深さを物語っている。
次に味噌汁を口にするとき、その一杯の裏側で、世界の研究者たちが微生物の設計図を描いていることを、少し思い出してみたい。
Toshiより
味噌や醤油、日本酒、パン、チーズなどの発酵食品には、それぞれ独特の味や香りがあります。同じ名前の食品でも、つくる人や地域、季節によって少しずつ違う。その違いこそが、発酵食品の魅力の一つだと、私は思っています。
一方で、食品として多くの人に届けることを考えると、「毎回少しずつ違う」だけでは済まないこともあります。ある日はおいしくできても、次は酸味が強すぎる。香りが違う。予定どおりに発酵が進まない。場合によっては、安全性に関わる微生物が増えてしまう可能性もあります。
つくり手にとって、発酵のゆらぎは魅力であると同時に、大きな難しさでもあるのでしょう。
今回のレビューを読んで、私が最も興味を持ったのは、発酵を「一種類の菌の働き」として見るのではなく、複数の微生物がつくる一つの社会として捉えているところです。
発酵食品の中では、乳酸菌、酵母、酢酸菌、麹菌など、さまざまな微生物が働いています。ある菌が糖を分解し、そのときにつくられた物質を別の菌が利用する。菌どうしが助け合うこともあれば、栄養や居場所をめぐって競い合うこともあるでしょう。
その複雑な関係の結果として、味、香り、色、食感が生まれます。私たちが「おいしい」と感じる一口の背景には、目には見えない微生物たちの共同作業があるのです。
これまでは、その共同作業を細かく見ることが難しかったため、人間は経験を頼りに発酵を扱ってきました。温度、湿度、香り、色、手触りを確かめながら、「今は順調だ」「少し温度を下げよう」と判断する。長年の経験を持つ職人は、数字には表れにくい小さな変化を感じ取ってきたのだと思います。
そこに、オミクスという新しい技術が加わろうとしています。

メタゲノミクスを使えば、どのような微生物がいるのか、その遺伝情報をまとめて調べることができます。メタトランスクリプトミクスでは、どの遺伝子が実際に働いているのかを見ることができます。メタプロテオミクスではつくられたタンパク質を、メタボロミクスでは発酵中に生まれた成分を調べます。
さらに、カルチュロミクスという方法では、食品の中にいる微生物をさまざまな条件で培養し、実際に取り出して確かめます。
一つの方法だけですべてが分かるわけではありません。しかし、複数の方法を組み合わせれば、「どの菌がいるか」だけでなく、「その菌が何をしているか」「どのような成分が生まれたか」まで、少しずつ見えるようになります。
私には、これが発酵食品の健康診断のようにも感じられました。表面の味や香りだけでなく、その内側で何が起きているのかを、いろいろな角度から確認する。これまで職人が感覚で捉えていた変化を、科学が別の方法で記録しようとしているのです。
なかでも面白いと思ったのが、「定義された微生物コンソーシアム」という考え方です。
自然に存在する菌をすべてそのまま利用するのではなく、発酵に必要な働きを担う菌を選び、組み合わせを設計する。その中には、発酵を完成させる土台となる「コア」の菌と、風味や安定性などの個性を加える「補助」の菌があると整理されています。
家にたとえるなら、コアの菌は柱や基礎、補助の菌は内装や家具のようなものかもしれません。丈夫な土台がなければ家は建ちませんが、土台だけでは、その家らしい居心地や美しさは生まれません。
発酵食品も、安定して発酵を進める菌だけをそろえれば、それで完成するわけではないのでしょう。複雑な香りや奥行きのある味には、主役ではないように見える菌も関わっている可能性があります。
だからこそ、菌の種類を減らして単純にすればよい、という話ではありません。必要な働きを保ちながら、どのように多様さを残すか。安定性と個性の両方をどう支えるか。そのバランスを考えるための枠組みが、コアと補助という二層構造なのだと思います。
A-A-Rという進め方にも、ものづくりの基本が表れています。
菌を組み合わせる。実際に発酵させて結果を調べる。そして、うまくいかなかったところを見直して、もう一度組み直す。組み立て、評価し、再設計する。この流れを何度も繰り返しながら、目的に合った菌の組み合わせへ近づけていきます。
最初から完璧な答えを見つけるのではなく、試して、確かめて、直す。言葉にすると当たり前のようですが、微生物のように複雑なものを扱うからこそ、この地道な繰り返しが重要になるのでしょう。
私は、この考え方が伝統的な職人の仕事と、まったく別のものだとは思いません。
職人も、一度の仕込みですべてを理解したわけではないはずです。何度もつくり、失敗や成功を覚え、季節や原料に合わせて方法を調整する。その積み重ねによって、技術を磨いてきました。
A-A-Rは、その試行錯誤をデータで記録し、複数の人が共有しやすい形にしたものとも考えられます。経験と科学は対立するものではなく、同じ発酵を違う角度から見ているのかもしれません。
ただし、すべての発酵食品を均一にすればよいとは思いません。
工場で多くの人に届ける食品には、品質の安定が求められます。同じ商品を買ったのに、毎回まったく違う味では困ります。安全に製造し、決められた品質を保つには、微生物の状態を把握する技術が役立つでしょう。
一方で、地域に根づいた発酵食品には、その土地の気候、原料、蔵、道具、そこに住みついた微生物が生み出す個性があります。その違いまでなくしてしまえば、世界中の味噌やチーズが同じような味になってしまうかもしれません。
ばらつきには、減らしたいばらつきと、守りたいばらつきがあるのだと思います。
安全性を損なう変化、発酵の失敗につながる変化、品質を大きく崩す変化は減らしたい。しかし、地域らしさや職人らしさを生む微妙な違いは、残したい。科学の役割は、何でも均一にすることではなく、その二つを見分けることなのではないでしょうか。
伝統食品には、法律や地域の規則によって原料や製法が定められているものもあります。自然発酵や、その土地に由来する微生物を使うこと自体が、食品の価値になっている場合もあります。
そのような食品に、外から選んだ菌を加えたり、設計した微生物群へ置き換えたりすれば、品質が安定したとしても、もとの食品と同じ名前で呼べなくなる可能性があります。
だから、オミクス技術の使い道は、菌を置き換えることだけではありません。伝統的な発酵の中にどのような菌がいて、どのように働いているのかを記録する。異常な変化を早めに見つける。地域ごとの特徴を科学的に確認する。偽物ではなく、その土地で正しくつくられた食品であることを調べる。そうした使い方にも、大きな意味があると思います。
「精密発酵」という言葉を聞くと、機械がすべてを管理し、同じ食品を大量につくる未来を想像するかもしれません。しかし、今回の論文が示す方向は、それほど単純ではありません。
微生物を自由自在に操れる段階には、まだ到達していません。DMCの多くは概念や実験室での研究段階にあり、工場の大きな設備でも同じように働くかは、これから確かめる必要があります。
小さな容器でうまくいった菌の組み合わせが、原料や温度、酸素の状態が異なる大規模な環境でも安定するとは限りません。発酵食品を食べる人が「おいしい」と感じるかどうかも、成分の数字だけでは決められないでしょう。
科学が進んでも、最後には人間の感覚と判断が必要なのだと思います。
私が今回のレビューから感じたのは、最新技術によって伝統が消える未来ではなく、伝統をより深く理解できる未来です。なぜこの蔵の味噌はこの香りになるのか。なぜ同じ製法でも季節によって発酵が違うのか。長年受け継がれてきた経験の裏側を、科学が少しずつ説明してくれるかもしれません。
それによって、職人の知恵の価値が下がるのではなく、むしろ、どれほど細かな変化を経験から読み取ってきたのかが見えてくるのではないでしょうか。
いつもの味を守ることは、何も変えないことではありません。原料や気候、製造環境が変化する中で、同じおいしさを届けるために、つくり手は絶えず工夫しています。
伝統の経験、微生物の働き、オミクスによるデータ。その三つが支え合うことで、発酵食品はこれからも受け継がれていくのだと思います。
ばらつきをすべてなくすのではなく、守るべき個性を見極めながら、減らすべき不安定さを減らしていく。私は、そんな科学の使い方に期待したいです。
Toshi / 発酵と健康、走ることが好きな56歳
※ この記事は個人の体験と公開情報に基づくものです。特定の疾患の診断・治療・予防を目的としたものではありません。健康上の不安がある方は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。