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麹菌はなぜ、あれほど大量の酵素をつくれるのか。東京大学らが見つけた「細胞の体積と核数が10倍になる」しくみ
味噌、醤油、日本酒、みりん、甘酒——。
日本の食卓に欠かせないこれらの発酵食品には、ある微生物の働きが深く関わっている。その微生物の名は、麹菌(こうじきん)。学名を Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼ)という、日本の「国菌」にも選ばれているカビの一種だ。
麹菌は、お米や大豆のデンプンやタンパク質を分解する「酵素」を大量につくり出す。この酵素が、原料を糖やうま味成分に変え、あの複雑で豊かな味わいを生み出す。麹菌は、いわば日本の発酵文化の「縁の下の力持ち」だ。
では、麹菌はなぜ、これほど大量の酵素をつくることができるのか。長年知られていなかったその秘密に、東京大学大学院農学生命科学研究科と筑波大学などの研究チームが迫った。
2025年9月、その成果が国際的な学術誌 eLife に発表された(論文タイトル:“The increase in cell volume and nuclear number of the koji-fungus Aspergillus oryzae contributes to its high enzyme productivity”、DOI: 10.7554/eLife.107043.4)。
鍵を握っていたのは、「細胞そのものが大きくなり、核の数が増える」という、意外なしくみだった。
麹菌とは何者か
まず、麹菌について少し整理しておきたい。
麹菌はカビ(糸状菌)の一種で、糸のように細長い「菌糸(きんし)」を伸ばして成長する。蒸した米や麦、大豆の表面で繁殖し、デンプンを分解するアミラーゼ、タンパク質を分解するプロテアーゼなど、さまざまな酵素を分泌する。
たとえば味噌づくりでは、麹菌の酵素が大豆のタンパク質をうま味成分(アミノ酸)に分解し、米のデンプンを甘みのもとになる糖に変える。日本酒づくりでも、麹菌が米のデンプンを糖に変え、その糖を酵母がアルコールに変えていく。
この「酵素を大量につくる能力」こそが、麹菌が何百年にもわたって日本の醸造に使われてきた理由だ。職人たちは経験的に、麹菌の力を最大限に引き出す技術を磨いてきた。しかし、その能力が「細胞レベルで何によって支えられているのか」は、はっきりとは分かっていなかった。
培養中に「太い菌糸」が現れる
研究チームが注目したのは、麹菌を育てる過程で起こる、菌糸の形の変化だ。
麹菌の菌糸は、培養が進むにつれて変化していく。研究チームが詳しく観察したところ、培養の過程で通常よりも「太い菌糸」が出現することが分かった。
この太い菌糸では、驚くべき変化が起きていた。細胞の体積が約10倍に増え、さらに細胞の中にある「核」の数も、約10倍の200個以上にまで増えていたのだ。
ここで「核」について説明しておきたい。核は、細胞の中で遺伝情報(DNA)を収めている、いわば「設計図の保管庫」だ。多くの生き物では、ひとつの細胞にひとつの核がある。しかし糸状菌の菌糸は、ひとつの細胞の中に複数の核を持つことがある。麹菌の太い菌糸では、その核の数が桁外れに増えていた。
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「細胞が大きく、核が多い」と酵素がたくさんできる
では、細胞体積と核数の増加は、酵素の生産とどう関係しているのか。
研究チームの解析によると、細胞体積と核数の増加は、アミラーゼ(デンプン分解酵素)の活性の上昇と相関していた。つまり、細胞が大きく、核がたくさんある菌糸ほど、酵素をたくさんつくる傾向があったということだ。
そのしくみは、こう考えられている。核には遺伝情報(設計図)が収められている。核の数が増えるということは、酵素をつくるための「設計図のコピー」が増えるということだ。研究では、菌糸あたりの「転写」と「翻訳」——つまり設計図から酵素をつくり出す一連の作業の量——が高まっていることも示された。
設計図がたくさんあり、それを読み取って製品(酵素)をつくる工程もフル稼働する。その結果、ひとつの菌糸から大量の酵素が生み出される。麹菌の高い酵素生産能力は、こうした細胞レベルのダイナミックな変化に支えられていたのだ。
「太く、大きく、核が多い細胞をつくる」——これが、麹菌が長い進化と人の手による選抜の中で獲得してきた、酵素生産を支える重要な特徴だったと考えられる。
なぜこの研究が大切なのか
この研究は、すぐに何かの食品や健康効果につながるものではない。麹菌という微生物の「基礎的なしくみ」を解き明かした、基礎研究だ。しかし、その意義は決して小さくない。
第一に、日本の伝統的な醸造文化の根幹を、科学の言葉で説明したことだ。味噌・醤油・日本酒・みりんといった発酵食品は、すべて麹菌の酵素生産能力に支えられている。その能力の正体が細胞レベルで明らかになったことは、発酵という営みの理解を一歩深めるものだ。
第二に、応用への可能性だ。麹菌は食品づくりだけでなく、酵素そのものを工業的に生産する微生物としても重要だ。洗剤に使われる酵素や、さまざまな産業用酵素の生産にも麹菌が活用されている。「どうすれば麹菌により多くの酵素をつくらせられるか」という問いに、今回の発見は新しいヒントを与える可能性がある。
長い歴史を持つ麹菌の研究が、現代の生命科学の手法によって、また新たな一面を見せてくれた。職人の経験知と、最先端の科学。その両方が、麹菌という小さな生き物の奥深さを照らし出している。
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麹菌と日本の食文化
麹菌は、世界的に見てもとても珍しい存在だ。
多くのカビには、食品を腐らせたり、カビ毒をつくったりするものもある。一方、醸造に使われる麹菌は、長い時間をかけて人間が選び抜き、安全に利用できるものとして受け継がれてきた、いわば「飼いならされたカビ」だ。もちろん、身の回りに生えたカビを食品に使ってよいという意味ではない。日本醸造学会は2006年に、麹菌を日本の「国菌」に認定している。それほど、麹菌は日本の食文化に深く根づいている。
味噌汁の香り、醤油のうま味、日本酒の繊細な風味、甘酒のやさしい甘さ——これらはすべて、麹菌が大量の酵素をつくり出すからこそ生まれる。私たちが何気なく口にしている発酵食品の味は、目に見えない麹菌の細胞の中で起きている、ダイナミックな営みの結晶なのだ。
今回の研究は、その営みの一端を、細胞という極小のスケールで見せてくれた。次に味噌汁を飲むとき、その一杯の背景に、細胞を10倍にまで大きくして酵素をつくり続けた麹菌の姿を、少し思い浮かべてみるのもいいかもしれない。
麹菌は、自らの細胞を大きくしてまで酵素をつくる。日本の食卓の豊かさは、目に見えない小さな菌の、けなげな働きに支えられている。
Toshiより
今回の研究を読んで、麹菌という存在を、あらためてすごいと思いました。
味噌、醤油、日本酒、甘酒。どれも僕たちの食卓に当たり前のようにありますが、その裏側では、目に見えない麹菌が酵素をつくり、米や大豆を少しずつ変えてくれています。今までは「麹菌は酵素をたくさん出す菌」というくらいの理解でしたが、そのために細胞の体積を大きくし、核の数まで増やしていると知ると、発酵の世界が一気に立体的に見えてきました。
特に印象に残ったのは、麹菌がただ偶然に酵素を出しているのではなく、細胞の中のしくみそのものを変えながら、大量の酵素をつくれる状態になっているという点です。人間でいえば、仕事をするために作業場を広げ、設計図を増やし、工場全体の生産力を上げているようなものだと感じました。とても小さな生き物なのに、そこには驚くほど大きな工夫があります。
そして、この研究は「味噌を食べると健康になる」といった話ではなく、麹菌がどうやって発酵を支えているのかを明らかにする基礎研究です。だからこそ、僕は安心して面白いと思えました。健康効果を急いで結論づけるのではなく、まず麹菌そのものの働きを丁寧に見る。その姿勢が、発酵食品をきちんと理解するうえで大事なのだと思います。
一方で、カビという言葉には注意も必要だと感じました。麹菌は、長い時間をかけて人間が選び、醸造に使ってきた特別な存在です。だからといって、身の回りに生えたカビを食品に使ってよいという意味ではありません。発酵と腐敗は近い場所にあるようで、実際にはまったく違うものです。安全に受け継がれてきた菌を、正しい環境で使うからこそ、味噌や醤油のような食品が生まれるのだと思います。
僕は発酵食品が好きですが、今回の記事を書いていて、発酵は「昔ながらの知恵」だけでもなく、「現代科学」だけでもないのだと感じました。職人さんたちは、温度、湿度、香り、手触りを見ながら、麹菌の力を引き出してきました。その経験の積み重ねを、現代の研究が細胞レベルで説明してくれる。昔の知恵と科学がつながる瞬間に、発酵の面白さがあると思います。
次に味噌汁を飲むとき、ただ「おいしい」と感じるだけでなく、その一杯の背景に、麹菌が細胞を大きくし、核を増やし、酵素をつくり続けていた時間があるのだと思うと、少し見え方が変わります。いつもの味噌汁が、ただの料理ではなく、小さな生命の働きと、人間の知恵が重なったものに感じられます。
発酵食品は、派手なものではありません。けれど、毎日の食卓の中で、静かに深く暮らしを支えてくれています。今回の研究は、その静かな働きの一部を、科学の言葉で見せてくれました。麹菌の小さな細胞の中で起きている大きな変化を知ることで、僕はますます発酵食品を大切に味わいたいと思いました。
※ この記事は個人の体験と公開情報に基づくものです。特定の疾患の診断・治療・予防を目的としたものではありません。健康上の不安がある方は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。