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麹菌のタンパク質が、日本酒の成分に関わっていた|「国菌」の多面的な役割を探る研究


日本酒づくりには、主に米、米麹(こめこうじ)、水が使われ、麹菌(こうじきん)と酵母の働きによって発酵が進んでいく。

その中心で働くのが、麹菌だ。学名を Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼー)という。麹菌は、味噌や醤油、日本酒などの醸造に重要なことから、日本醸造学会によって2006年に「国菌」と認定されている。

その麹菌が、日本酒の成分づくりにどこまで関わっているのか。麹菌自身がつくり出す「タンパク質」に注目した研究が、独立行政法人酒類総合研究所と広島大学の研究者らによって行われた。査読付きの学術誌「Applied and Environmental Microbiology」に2026年に発表された、原著論文である。

今回はこの研究を手がかりに、日本酒の一杯の奥にある、麹菌の緻密な仕事をのぞいてみたい。

麹菌は、酵素の宝庫

まず、麹菌が日本酒づくりで果たす役割を整理しておきたい。

蒸した米に麹菌を繁殖させたものが「米麹」だ。麹菌は、米の上で育ちながら、さまざまな酵素を生み出す。酵素とは、物質を分解したり変化させたりする、いわば小さな道具である。

この酵素が、米のデンプンをブドウ糖に、タンパク質をアミノ酸などへと分解していく。こうしてできた糖を、今度は酵母がアルコールに変える。日本酒づくりは、麹菌と酵母の見事な連携によって進んでいくのだ。

これまで麹菌は、おもに「酵素を出す働き手」として注目されてきた。しかし、麹菌そのものがつくり出すタンパク質が、酒の成分にどこまで影響しているのかは、よく分かっていなかった。

麹のタンパク質を、まとめて調べた

そこで研究チームは、米麹に含まれる麹菌由来のタンパク質(研究では「RKPs」と表記)を、網羅的に調べた。

まず、プロテオミクスという手法を使って、米麹の中にある159個のタンパク質の遺伝子を特定した。プロテオミクスとは、そこにあるタンパク質を一括で分析する技術のことだ。

さらに研究チームは、そのうちの85種類について、遺伝子を働かないようにした麹菌(遺伝子欠損株)を作製した。特定のタンパク質を「つくらない麹菌」を用意し、その麹で実際に日本酒を仕込んでみる。そうすれば、そのタンパク質が酒の成分にどう関わっているかが見えてくる、という発想である。

57個の遺伝子が、酒の成分を変えた

醸造実験の結果は、興味深いものだった。

作製した遺伝子破壊株のうち57種類では、少なくとも一つの清酒由来代謝物ピークに顕著な変化が確認された。

代謝産物には味や香りに関係するものもある。ただし、今回の研究は人が実際に味や香りを評価する官能試験を行ったものではない。確認されたのは、分析装置で検出された成分プロファイルの変化である。

その成分の顔ぶれが変わるということは、麹菌のタンパク質が、酒の成分づくりに広く関わっていることを示している。

とくに、麹菌の生育量(菌体のバイオマス)を左右するタンパク質は、日本酒成分の大きな変化と結びついていた。麹菌がどれだけ育つか、その調整に関わるタンパク質が、めぐりめぐって酒の中身にも影響していた、というわけである。

見えてきた、麹菌の「多面的な役割」

この研究が示したのは、麹菌が単に「酵素を出す装置」ではない、ということだ。

麹菌は、自らのタンパク質を通じて、自分自身の育ち方を調整し、それが結果として日本酒の成分プロファイルに広く影響していた。分解酵素を出すだけでなく、酒づくりのさまざまな段階に、多面的に関わっていたのである。

長い歴史のなかで、杜氏(とうじ)たちは経験を頼りに、麹の状態を見極め、酒の味を整えてきた。今回の研究は、その経験の裏側で、麹菌のタンパク質がどのように働いていたのかを、分子のレベルから説明しようとする試みといえる。

この研究が開く、これからの可能性

この研究には、これからの酒づくりにつながる可能性もある。

今回の知見は、将来的に酒質の安定化や成分設計を研究するうえで、手がかりになる可能性がある。ただし、実際の味や香り、商業的な製造への応用が確認された段階ではない。

さらに、麹菌は日本酒だけの菌ではない。味噌や醤油、みりんなど、日本の発酵食品の多くを支えている。麹菌のタンパク質の働きが詳しく分かることは、こうした発酵食品全体の理解にも、いずれ役立つかもしれない。

伝統の酒づくりと、科学

もっとも、これは麹菌の働きの仕組みを解き明かす基礎研究である。遺伝子を働かないようにした麹菌を用いた小規模な醸造試験であり、市販されている日本酒を評価した研究ではない。人が味や香りを確かめる官能評価も行われていない。特定の日本酒が「おいしい」「体にいい」と示したものでもない。この点は、正確に受け止めておきたい。

なお、日本酒はアルコール飲料であり、本記事は飲酒を勧めるものではない。飲酒による影響には個人差があり、一般に量が少ないほどリスクも小さくなる。20歳未満、妊娠中・授乳中、運転前などは飲酒してはならない。療養中や服薬中の方は、医師や薬剤師に確認してほしい。

それでも、日本人が古くから親しんできた麹菌の奥深さが、少しずつ科学の言葉で描かれていくのは、興味深いことだ。国菌と呼ばれる小さな微生物が、これほど多面的に酒づくりを支えていた。その事実は、日本の発酵文化の厚みを、あらためて感じさせてくれる。

次に日本酒づくりについて目にする機会があれば、その背景で働く麹菌の緻密な仕事にも、少し思いを向けてみたい。

Toshiより

日本酒というと、私たちはつい、米、水、土地、杜氏の技といったものを思い浮かべます。もちろん、それらはどれも大切です。しかし今回の研究を読むと、その一杯のさらに奥に、麹菌がつくり出す無数のタンパク質と、目には見えない複雑な働きがあることに気づかされます。

麹菌については、これまでも「酵素をたくさんつくる菌」として紹介されてきました。米のでんぷんを糖へ、タンパク質をアミノ酸などへ分解し、日本酒や味噌、醤油の発酵を支えている。私も、そのような理解をしていました。

ところが今回の研究が見せてくれたのは、麹菌を単なる「酵素の供給役」として捉えるだけでは、その働きを十分に説明できないということです。麹菌が米麹の中でつくるタンパク質は、菌自身の育ち方にも関わり、その違いが清酒の成分プロファイルにもつながっていました。

研究チームは、米麹から159個の遺伝子を見つけ、その中から85種類の遺伝子破壊株を作製し、小規模な清酒醸造試験を行いました。そして57種類の遺伝子破壊株で、少なくとも一つの代謝物ピークに顕著な変化が確認されたといいます。

私が興味深いと感じたのは、単に「ある酵素が、ある成分をつくる」という一対一の関係ではなかったことです。あるタンパク質をつくらないようにすると、麹菌の生育量が変わり、その変化が複数の清酒成分にまで影響していました。

発酵は、一つの菌が一つの仕事だけをして完成するものではありません。菌の育ち方、酵素の量、原料の状態、酵母との関係、温度や時間など、多くの要素が重なって進んでいきます。どこか一つが変われば、その影響が別の場所にも広がっていく。発酵とは、たくさんの小さな働きが結びついた、とても複雑な営みなのだと思います。

遺伝子破壊株を使う研究方法も印象に残りました。これは、あるタンパク質の役割を調べるために、そのタンパク質をつくらない麹菌を用意し、通常の場合と何が変わるかを比べる方法です。

たとえるなら、大勢で演奏している楽団から、一つの楽器だけを外してみるようなものかもしれません。音全体がどう変わるかを調べることで、その楽器が受け持っていた役割が見えてきます。麹菌の中でも同じように、一つひとつのタンパク質を働かない状態にして初めて、全体の中で果たしていた役割が見えてくるのでしょう。

ただし、ここで気をつけたいのは、今回確認されたのが「日本酒の味そのもの」ではなく、分析装置で捉えた成分の変化だということです。味や香りに関係する成分が含まれている可能性はありますが、人が実際に飲んで、おいしさや香りの違いを評価した研究ではありません。

成分が変われば、必ず人が違いを感じるとは限りません。反対に、分析上はわずかな違いでも、香りや味の印象に影響することがあるかもしれません。成分分析と、人が感じる味わいは、関係していても同じものではない。この区別を忘れずに研究を受け止めたいと思います。

また、研究で使われたのは、役割を調べるために作製された遺伝子破壊株と、小規模な醸造試験です。遺伝子を改変した麹菌を使った日本酒が、すぐに市販されるという話ではありません。特定の商品のおいしさや品質を証明した研究でもありません。

「遺伝子破壊」という言葉だけを見ると、不安を感じる人もいるかもしれません。しかし今回は、麹菌の仕組みを理解するための研究上の道具として使われています。どのタンパク質が何に関わっているのかを一つずつ確かめるための方法であり、私たちが店頭で購入する日本酒について直接何かを示したものではありません。

私は、伝統と科学は対立するものではないと思っています。

杜氏や蔵人たちは、遺伝子や代謝物という言葉が使われるよりもずっと前から、米の状態を見て、香りを確かめ、麹の温度に触れながら発酵を管理してきました。経験を積み重ね、わずかな変化を感じ取り、目指す酒質へ近づけてきたのです。

今回のような研究は、その経験を否定したり、機械に置き換えたりするためのものではないでしょう。長い年月をかけて受け継がれてきた技術の背景に、どのような仕組みがあるのかを、現代の科学の言葉で少しずつ確かめていくものだと思います。

職人が「今日は麹の育ち方が違う」と感じ取ってきた変化の裏側には、菌体量やタンパク質、代謝物の違いがあったのかもしれません。経験によって守られてきた知恵と、分析によって見えてきたデータが結びつけば、伝統への理解はさらに深まるはずです。

科学によって発酵を詳しく調べることは、すべての味を均一にすることとも違います。日本酒には、蔵ごとの個性や、米、水、気候、造り方による違いがあります。その違いこそが日本酒の魅力でもあります。

一方で、意図しない品質のばらつきを減らしたり、発酵がうまく進まなかった原因を調べたりするためには、科学的な理解が役立ちます。守りたい個性と、避けたい不安定さを区別する。そのための一つの手がかりとして、今回の研究には意味があるのだと思います。

麹菌が日本醸造学会によって「国菌」と認定されていることにも、あらためて納得させられます。日本酒だけでなく、味噌、醤油、みりんなど、日本の食卓を支える多くの発酵食品に麹菌が関わっています。

ただし、今回の結果をそのまま味噌や醤油へ当てはめることはできません。原料も発酵条件も、関わる微生物も違うからです。それでも、麹菌がつくるタンパク質の役割を理解することは、ほかの発酵食品を研究するうえでも、将来的な手がかりになるかもしれません。

そして、日本酒について書く以上、アルコールであることも忘れてはいけないと思います。この記事は、日本酒を飲むことによる健康効果を紹介するものでも、飲酒を勧めるものでもありません。飲まない人は、飲まないままでまったく問題ありません。飲酒する場合も、体質や体調を考え、量を控えることが大切です。

お酒を飲めるかどうかとは別に、発酵文化の背景を知ることはできます。日本酒を飲まない人でも、麹菌と酵母が協力して一つの食品をつくり上げる仕組みや、それを長年支えてきた人々の技術には、十分な面白さがあると思います。

私たちが普段目にする一杯の日本酒は、完成した姿です。しかし、その完成までには、米を育てる人、水を守る人、麹を育てる人、発酵を管理する人、そして目に見えない微生物の働きがあります。今回の研究は、その中でも特に見えにくかった、麹菌のタンパク質という世界に光を当てました。

科学が進むほど、発酵の神秘がなくなるのではなく、むしろ新しい奥行きが見えてくる。私はこの記事を読みながら、そんなことを感じました。

分からなかった仕組みが一つ見えても、その先には、また新しい疑問が生まれます。どの成分が実際の味や香りに関わるのか。菌の育ち方は、仕込み条件によってどう変わるのか。研究室で得られた知見を、伝統的な醸造の現場でどのように生かせるのか。発酵研究には、まだ広い世界が残されています。

日本の発酵文化は、昔から変わらないものとして保存されてきたのではありません。人々が観察し、工夫し、失敗から学びながら、少しずつ育ててきたものです。そこに現代の科学が加わり、次の時代へつながっていく。その歩みを、これからも丁寧に見ていきたいと思います。

一杯の日本酒の背景には、麹菌のたくさんの仕事があります。そして、その小さな仕事を解き明かそうとする研究者と、長い間その働きを見守ってきた造り手たちがいます。目に見えないものへの理解と敬意が、日本の発酵文化をこれからも豊かにしていくのではないでしょうか。


※本記事の画像は、米麹と日本酒を表現したイメージ画像です。研究で使用された試料や特定の商品を撮影したものではありません。

Toshi / 発酵と健康、走ることが好きな56歳

※ この記事は個人の体験と公開情報に基づくものです。特定の疾患の診断・治療・予防を目的としたものではありません。健康上の不安がある方は、医師・管理栄養士などの専門家にご相談ください。詳しくは免責事項をご覧ください。